ガタゴト日誌

長野でボチボチ鉄道写真撮ってます

さよなら189系「彩野」

 こういう時に限って仕事で見る事が出来なかったのですが、仕事帰りに長野総合車両センターの車両留置場(廃車置場)を見てみたところ、いつも出迎えていてくれた189系「彩野」の姿が無い・・・。
 
 もしやと思って、奥の方に目をやると夕暮れ迫る解体線にそれらしき姿が・・・。嘘であってくれ。と、言う願いも虚しく解体線へ押し込まれたようです。
 一時は、譲渡やら新編成結成やら傷みの激しい某編成の先頭のみ交換などの噂や憶測(一部は事実らしい)が飛び交いましたが、やはり車齢を考えると、いまさら費用を投じても・・・。という結論になってしまったのでしょうか。
 
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関東での役目を終えて長野へ向かう189系「彩野」(素晴らしい装飾で送り出されました)
 
 大宮から特急車両としての風格を失うことなく素晴らしい装飾を施されて長野へ向かう「彩野」。これから奇跡が始まるのだと信じていた・・・。
 
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長総の車両留置場(廃車置場)で過ごす日々が続く
 
 「部品取り禁止」の貼り紙が貼られ、続々と最後の旅路を終えた車両を横目にこの車両は解体されないまま夏が過ぎました。
 
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かっての同僚だった長野車を見送る日々が秋まで続く
 
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9月に入り6両編成の組み換えが行われました。この時に運命は決まっていたのかも知れない
 
 そして、「部品取り禁止」の貼り紙が剥がされ、数日後の長総の一般公開で「彩野」の座面が売られていた時点で運命は確定した。
 
 あとは、いつ解体されるかが関心事となる。観察に行く度に変らぬ姿でたたずんでいる「彩野」を見ては胸をなでおろした日々・・・。
 
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10月19日撮影 私が見た車両留置場での最後の「彩野」
 
 そして本日の午後(というか夕暮れ)、客先との打ち合わせも終わり車を側道へ・・・。189系「彩野」が見当たらない・・・。
 そして、一番いてほしくないと願っていた場所(解体線)に移動させれていた。こうなる事は、もう解っていたのだが、現実に見せられると頭が真っ白になり何もできなかった・・・。これも会社勤めの宿命ではあるが、最後の移動シーンは見たかった。と言うのが正直な心境だ。
 今日は、何もせずに静かに数分ほど眺めて家路についた。
 
 思えば、189系N101編成として特急「あさま」最終日より一足はやく運用を離脱・・・。世間が長野(行)新幹線(当時)の開業に注目を集めた、10月1日この編成は「あさま」色から「あずさ」色に衣替えして颯爽と中央東線へ鞍替え。その後、M12編成を名のりデラックス車両の比率が高い「あずさ」運用で、「ハズレ編成」と一般利用客に陰口を言われながらも、特急あずさ号で活躍。それも長くは続かなかった・・・。
 
 E257系登場後は、活躍の場を関東に移した。小山へ転属しZ45編成を名のり「彩野色」と呼ばれる派手な塗装で、快速運用で週末の行楽客を運ぶ日々・・・。そのZ45編成に奇跡が起きた、東武鉄道直通特急の予備車に指定され、大宮に活躍の場を移しOM201編成を名のった。塗装も現在の明るいなりに落ち着いた塗装に。晴れて特急運用に復帰。臨時列車の設定も増えるとともに、485系の不調も重なり特急運用は増加の一途で最後の輝いた日々を送った。
 
 しかし、253系1000番台の投入で役目は終わった。大宮の方々により、惜別のヘッドマーク・方向幕が用意され最後まで特急車らしい風格を失うことなく長野に戻ってきた189系OM201編成。一時は、いろいろ話が持ち上がったようだが、もう奇跡の舞台は無かった・・・。
 臨時列車ながら最後まで特急で運用され、最後の時を「あさま」で活躍した古巣の長総で終える事が出来るこの編成は幸せな編成かもしれないと、ふと考えて記事を書いて書いてみました。
 
 ありがとう、さようならOM201編成「彩野」